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2007年07月02日

ハンディ

弱視:友情で乗り越え眼鏡でも視力3センチ東大生・小川さん、体験を本に

「弱視」は見えていると思われる分、理解されにくい障害だ。その現実や、どう向き合い克服してきたのかを、東京大文学部3年、小川明浩さん(20)が本につづった。「視力3cm~それでも僕は東大に」(グラフ社)。支えてくれた家族や友人らへの感謝の思いがこめられている。

◇公立校で学ぶ
弱視は単に視力が弱いだけでなく、眼鏡やコンタクトレンズでも矯正できない視力障害のこと。見え方には個人差があり、小川さんの場合、3センチの距離まで本を近づけないと文字を読めない。色覚障害もある。

福岡市で未熟児として生まれた小川さんは、視力が十分発達せず焦点も定まらない「未熟児網膜症、先天性眼震」と診断され、医師から「将来は盲学校に進んだ方がいい」と告げられた。が、両親は他の子どもたちと同じ環境で学ばせることを選び、小川さんは小中高校とも公立校に通った。小児科医の母、弓子さん(49)は「一番の理由は盲学校が遠かったから。それに、友達から吸収することもたくさんあると思いました」と語る。

◇誤解受け、いじめも
ただ、障壁は少なくなかった。中でも小川さんが苦労したのは人間関係。顔が見えないので、友達でも顔はわからない。道で会い、相手が手を振っていても気づかない。「無視した」と責められたことが幾度もあった。「顔が見えないなら、声でわかるようにすればいい」……小川さんは友達の声に耳を澄ませ、やがて声と人物を一致させられるようになった。

懸命に見ようと目を凝らす動作が「にらんだ」と受け取られたり、「目つきが気に入らん」とけんかを売られたことも。いじめにも遭い、「盲学校に転校したい」と思ったこともあったという。

◇このままでいい
踏みとどまれたのは、「人間関係のつらさ以上に、支えてくれる友達とのきずなが強かったから」。車も信号も見えない危険だらけの通学路で、いつも友達が「目」になってくれた。ボールが見えず、空振りばかりのサッカーの授業中「おれたちの壁役になってくれ」と励まし、「自分を生かせる位置」があると気づかせてくれた。

自信をもらったのは、中学時代。吹奏楽部でクラリネットを担当したが楽譜が見えず、暗譜して指が反射的に動くようになるまで練習していると、仲間が「そこがお前のすごさだよなあ」と言ってくれた。何気ない一言だったが、「このままの自分でいいんだ」と勇気づけられたという。

◇受験の不利、克服
受験にもハンディはあった。教室の最前列に座っても、黒板の字は見えない。教師の声を頼りにノートをとった。問題用紙も目の前まで持ってこないと見えない。センター試験では、文字を拡大した問題用紙を配ってもらうなどの特別措置があるが、あえて一般の受験生と同じ条件で臨んだ。「みんなと同じスタートラインに立って挑戦したい」との思いが強かったからだという。

もし、あなたの身近に弱視の人がいたら?小川さんは語る。「人によって障害の度合いも、してほしいことも違う。どうすることが最善なのか、当人と一緒に考えてあげてください」

ハンディは周りの愛情ある支えがあれば乗り越えられるし乗り越えたときにハンディが個性に変り、乗り越えた人は周りに勇気とエネルギーを与えることが出来るのでお互いが得をして幸せになれるんじゃないかと思います。
よく乗り越えられない試練はないと言いますが、皆さんはこのお話をどう感じられましたか?


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Posted by ニコニコ麻呂  at 10:07 │Comments(0)

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