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2007年04月02日

俺が助ける

読売新聞の2004年1月3日付け関西版掲載の連載記事で、とても素晴らしく涙なくしては読めない内容の紹介です。

〖助けられてきた人生:22歳の決断〗

激しかった雷雨は小雨に変わっていた。家庭教師のアルバイトからの帰り、大学生の伊賀崎俊(22)は、千葉県と都心を結ぶ私鉄・北総線新鎌ヶ谷駅のホームにいた。

2003年9月4日午前零時20分。5分前に着くはずの電車はまだ来ない。雷雨によるダイヤの乱れは続いていた。終わったばかりのサッカー合宿の内容を携帯メールでやり取りしていると、男性のふらつく影が視界をよぎった。酔っていた。崩れるように1メートル下の線路に落ちた。ホームには二、三十人いたが動かなかった。

いつ電車のライトが迫ってくるか知れない。が、意を決して飛び降りた。男性はレールの間に倒れ動かない。上体を抱き起こす。「重い」と感じた時、乗客の一人が降りてきた。渾身(こんしん)の力でホームに押し上げた。男性は腕を骨折していた。翌日、同県印西市の自宅で俊の話に母の真理子(50)は「何てことしたの。非常ベルもあるじゃない」としかった。2001年1月に起きたJR新大久保駅の事故が脳裏をかすめた。ホームから落ちた人を救おうと二人が飛び降り、輪禍の犠牲になった。俊は生まれつき耳が聞こえない。聴覚障害では最も重い2級だ。

珍しく言い返した。「人が倒れているのに、ほったらかしにするのか」
俊は京都府八幡市で生まれた。三人兄弟の二男。生後六か月の1981年冬、「感音性難聴」と診断された。〈音のない世界〉の宣告。絶望の中で真理子は息子を抱いて施設に通った。当時の補聴器は服の下につけても人目についた。ふびんに思い、外出する時はたまらず外した。ある日、街で同じ障害を持つ女児を見かけた。補聴器がワンピースの上にあった。衣服のすれる音が入らないようにするためだった。「一体、私は何をしてるんだろう」。自分を恥じた。「強くなろう。この子を育てていくんだ」

「お前の言葉は分からない」。千葉に転居し、小学校に上がった俊に「宇宙人」というあだ名が付いた。会話に入りたくて唇の動きから言葉を追いかけても、そのスピードについて行けない。家に入る前に何度悔し涙をぬぐっただろうか。
それでも、教科書をなぞって進み具合を教えてくれる友人がいた。しかし、予備校では孤独だった。受験生に自分の相手をする余裕などない。社会に出ればもっと厳しい現実がある。不安が募った。大学に入った年、それを察していた母に災害救援ボランティアの講習を勧められた。俊は思った。

いろんな人に助けられて生きてきた。が、いつまでも頼っていていいのか。せめて自分の身は自分で守りたい。そして一人で生き抜く力を身につけたい。
講習の合宿に参加した。人を助けたことはなかった。言葉が伝わるか、トラブルになったら――という思いが先に立ち、困っている人を見かけても動けなかった。ここを乗り越えれば自分の足で立っていける。障害者にもできるはずだ。止血法や蘇生(そせい)法を習得し「セーフティリーダー」に認定された。短い期間ではあったが自信を得た。何があっても対応できる、明日(あした)へと踏み出せる気がした。

新鎌ヶ谷駅で転落を目撃した夜、その時が来た。周囲を見回した。誰も動かない。「俺(おれ)が行く」。決断した。
救助の鉄則を反芻(はんすう)した。自分の安全を確保して行動に移る。線路脇に退避所があるのを確かめた。小学一年からサッカーを続け、体力には自信があった。1,2分あれば。
「助けるんだ。大丈夫だ」。自分の声をはっきりと聞いた。救助から10分後に電車は来た。名前も告げずに立ち去った。「俺って、人の命を救えたよな」。確かな手応えをつかんだ。

半月後、真理子は突然、男性の妻から電話を受けた。「主人に万一のことがあれば、私たち家族は路頭に迷うところでした。何とお礼を申し上げていいか」
男性の妻は事故の翌日、誰が助けてくれたのか駅に尋ねた。ポスターを貼って俊を探し出した駅から、数日後に連絡があった。面倒を避け、厄災を恐れて人とかかわろうとしない時代。駅員が救助したとばかり思っていた妻は、驚いた。「事故を知らせる人はいても、まさか、そんな人がいるなんて」。ただ、ただ頭が下がった。夫が治れば伺いたい。その前にどうしてもと、電話をかけたのだった。

幾度も幾度も繰り返される感謝の言葉。真理子は息子をしかったことを悔いた。人の役に立ってほしいと願ってきた息子が、一人の、一家の命を救った。誇りに思った。
「もし、もしも俊の耳が聞こえたら、この電話を聞かせてやりたい」真理子は切実にそう思った。(敬称略)



Posted by ニコニコ麻呂  at 15:01 │Comments(0)

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